katuskazan高雄政経ブログ

東京下町・淺草から台湾高雄にワープした活火山の言いたい放題&宣戦布告・「支那のプロパガンダと 【歴史戦】を戦う」「負けるか?支那外交部の【口撃】」

今は無き社民党、悪性遺伝子は増殖する。民進党の退化の始まり・終章

capture-20160805-124227 今は無き社民党の昔の名前は日本社会党です。

この政党は党名に「社」「社会」を入れるのがお好みで、新憲法下最初の総選挙である1947年第23回総選挙で比較第1党となり、その結果民主党国民協同党との3党連立内閣である片山内閣が成立したが、平野力三農相の公職追放を巡って右派の一部が社会革新党を結成して脱党したり、党内左派が公然と内閣の施政方針を批判したり党内対立はやまず、このため翌1948年に片山内閣は瓦解した歴史があります。

 

その後、万年野党の政党として、党勢を衰退させるものの、憲法九条護憲の権化ともいわれる土井たか子委員長時代の1989年の第15回参議院選挙では、口悪お婆を「マドンナ」に仕立て上げ、一挙に党勢を盛り返し、その数は自民党36議席をはるかに上回る46議席を獲得、このとき土井は開票速報番組の中で、「山は動いた」と言わせました。

 

これが、華の絶頂期で、その後の非自民・非共産連立政権の細川内閣に参加したあと、永田町の仕掛人や寝業師によって、村山内閣を自民党連立で成立させましたが、その時に村山総理をして、自らの口で、それまで違憲としていた「自衛隊」の合憲発言で、その歴史を大きくかじ取りしました。

 

これが禍のもとで、坂を転げ落ちるように衰退化しはじめ、村山内閣崩壊後は、日本社会党から社会民主党に改名したものの、「社会」の二文字の因縁から逃れず、総選挙の時には選挙ビデオを作製したものの、資金が無く、放映枠が一社からもとれず、お蔵になり、当然選挙は敗退です。

 

この頃になると選挙はやれば負けるのが常態となり、三宅坂の自前ビルを売却して、テナント政党になり、今回の選挙では、衆参併せて4人とという所帯になり、当然政党交付金は受給要件を失い、これまた、劣化遺伝子を持つ小沢一郎の政党のナントカなんとかの仲間たちに合流したということです。

 

どうやら政界にも運とツキが追いまとうようです。

 

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日本社会党から半分以上の人間が移動して民社党と合流しその他を加えて民主党になったのはイイのですが、この時には先に述べました負の劣化遺伝子を持つ小沢一郎も参加したことにより、ダブルのマイナス遺伝子を持つ民主党は、政権を維持しながらも、わずか3年で終わりをつげ、その後の直近の選挙では党名を民進党に変えて、日本共産党と共闘しても、勝利を手にすることは出来ませんでした。

 

恐ろしいですね。

 

日本の政界には、社会党の遺伝子と小沢一郎の遺伝子を持つ政党は劣化するのがS&Oの法則なのです。

その民進党はまた、代表選挙で、第二の衰退期に入ろうとしています。

一度魂を共産党に売った政党に明日はあるでしょうか? インターネット社会になり、SNSが興隆し、既存の新聞やTVの情報の虚構が崩れた結果、参院選では見事な政権与党の勝利。

都知事選では組織選挙を手作り選挙が勝利しました。

もう革新系は不毛の時代を迎えようとしています。

今度の民進党の代表選挙で蓮舫氏が代表になれば、まさにドツボに嵌ったも同様。

何かにつけて、責任をとらされ、蓮舫氏の政界での賞味期限を限りなく短くするでしょう。

こうなることを見れるkazanはまた楽しみが出てきました。

 

 


社会党の悪性遺伝子を持つ民進党の崩壊